(増補版)658E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年10月~1896年11月)

題:(増補版)658E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年10月~1896年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・あくまでも、正しいことを教えてあげねばな
  らない!
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
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1896年10月、篠ノ井線篠ノ井駅松本駅間が着工された。
  篠ノ井線(しののいせん)は、長野県長野市篠ノ井
 駅から長野県塩尻市塩尻駅までを結ぶ路線。
  当時、日本は、防衛のことをよく検討していた。
  関東と近畿を連絡する鉄道は、平時は海岸を走る海路
 の便があり・・
  戦時には、敵の攻撃を受けやすい海岸を走る東海道
 線ではなく、内陸部の中山道を経由する路線が検討され
 た。
  しかし、実際に、路線建設が行なわれると建設費がか
 さみ、また、山岳部などにより輸送力が制約された・・
  そのため、工事はほとんど進まず中止となった。
  しかし、資材輸送線として始まった直江津から長野を
 経由して上田へ至る路線は、そのまま建設が続行された。
  そして、さらに、延長されて、碓氷峠を越えて高崎ま
 でが、1893年4月に完工した。
  また、1892年6月に、鉄道敷設法が制定されていて、後
 に、中央本線と言われる路線の建設が始まっていた。
  これを受けて、長野県会は、1892年12月に、中央本線
 と信越本線を連絡する「長野若シクハ篠ノ井ヨリ松本ヲ
 経テ塩尻又ハ洗馬ニ至ル路線」を、第一期線に追加する
 ように帝国議会へ要請する決議を採択していた・・これ
 を中央連絡線と称した。
  1893年3月から鉄道庁の技師が派遣され、調査が行われ
 た。
  この結果、6つの路線が候補となった。
  しかし、そのどのルートを選んでも、険しい峠を長大
 トンネルで結び、そして、地質の悪い区間を通過しなけ
 ればならないという悪条件の重なる状況だった。
  その結果、距離が最も短い篠ノ井線が、建設費や運営
 の点で有利と判断された。
  この報告を受け、1894年6月23日、帝国議会で「長野県
 下長野若ハ篠ノ井ヨリ松本ヲ経テ前項ノ路線ニ接続スル
 鉄道」が第一期路線に格上げされ、起点は、篠ノ井と確
 定した。
  1896年予算で、建設費が決まり、明治28年度(1895年)
 から明治31年度(1898年)までの予定で施行されること
 となった。
  全線を11の工区に分けて、1896年10月に着工された。
  1900年から篠ノ井方より順次延伸され・・
  1902年に塩尻まで全通した。
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1896年11月1日、全国の504の税務署が開署した。
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1896年11月3日、米大統領選挙でウィリアム・マッキンリー
 が勝利し、第25代アメリカ大統領となった・・
  共和党ウィリアム・マッキンリーは、民主党のウィ
 リアム・ジェニングス・ブライアンを破った。
  この選挙を、歴史家たちは、アメリカ史の中でも最も
 劇的な選挙戦の一つとした・・が、ひどい金権選挙だっ
 た・・
  ブライアンより「10倍もの金を遣った」マッキンリー
 が、金の威力で勝利した選挙だった。
  マッキンリーの共和党選挙対策本部長のマーク・ハ
 ンナは、350万ドルの贅沢な予算に裏付けられ・・その金
 の威力を使った多くの近代的選挙技術を発明し、実行し
 た。
  対立候補のブライアンは、36歳・・
  ブライアンの演説は、非常に劇的だった・・
  主要政党で、大統領候補に指名された者として、最も
 若かった。
  多くの実業家や銀行家たちは恐れた・・それは、ブラ
 イアンが、人民主義的言葉遣いで人気を取って当選し、
 政権を取って、金本位制を終わらせるという政策を支持
 し、実行することに恐れていた・・
  ブライアンは、資金集めに苦労していた。
  マッキンリーは、南北戦争の退役軍人だった。
  マッキンリーと共和党は、金本位制アメリカ経済に
 は必要だ・・必須だと言っていた。
  共和党は、卑劣なことに、ブライアンの顔を書いた偽
 1ドル札を印刷してまでして、ブライアンを揶揄した、そ
 して、誹謗した。
  ブライアンの資金力は、マッキンリーの10分の1だった。
  ブライアンの魅力は、背が高く、人を魅了する雄弁な
 演説だった・・
  ブライアンは、信念と情熱を表現した・・
  彼を見るために、大勢の「莫大な群衆」が集まった・・
  南部や西部では、支持者がパレードをして、示威行動
 までして出迎えた・・
  これに対し、マッキンリーは、オハイオ州の自宅前で、
 しょぼくれた「玄関前」選挙運動を行なった。
  しかし、金の勢いで、有権者を自宅前に列車で連れて
 来るということをした。
  有権者集団は、そして、大歓待された・・
  その集団へ向かって演説がなされた。
  そして、マッキンリーの代わりの『国内遊説者』を、
 金に飽かせて、国中に回らせ、巡らせ、旅をさせた・・
  そして、ブライアンを危険な急進者と貶(おとし)め
 た。
  ブライアンが、もし選挙に勝てば、工場は閉鎖され、
 労働者は職を失うことになる・・という張り紙を張り巡
 らせた。
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1896年11月8日、「古事類苑」の刊行が始められた。
  古事類苑(こじるいえん)は、政府が編纂した一種の
 百科事典。
  本文1000巻の官撰(かんせん)の百科事典として、我
 が国唯一のもの・・
  文化・社会など諸般の事項を採録
  1879年、西村茂樹が建議し、小中村清矩(きよのり)ら
   が編集に着手したのに始まった。
   文部省に編纂係が設けられ、企画され、編集が開始
   された。
  1890年、皇典講究所に委託される
  1895年、神宮司庁が編集を継続し、この部署で完成さ
   れた。
  1896年、刊行を開始する
  1913年、完結(1914年説あり)35年間が費やされた。
  内容は、古代から近世までの歴代の制度、文物、社会
 全般にわたり、天部、歳時部、地部、神祇部、帝王部、
 動物部、植物部、金石部など30部門に分類され・・
  さらに、編・条・項と分類している。
  また、付・併入を必要の時に加えた。
  中国や日本の先行の類書の体裁にならって部門分類し、
 古今の書籍・文書・六国史以下、1867年までの文献から
 原文のまま引用し、例証を収載して理解させようとして
 いる。
  江戸時代以前の日本文化の研究に大きな便益を供して
 いる。
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1896年11月14日、雑誌『二十六世紀』が発行禁止となる。
  土方宮内大臣の行状を痛烈に批判し、伊藤首相へも攻
 撃したため発行禁止となった。
  論文転載の新聞『日本』、批判を支持した『万朝報』
 『国民新聞』なども発禁になった。
  この事件を契機に、新聞紙条例から発行禁止や停止を
 廃止する改正が実現した(1897年)
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1896年11月17日、神戸でキネトスコープ(のぞき眼鏡式活
 動写真)の上映が始まった。
  (11月25日から12月1月までの説がある・・日本映画の
 日が12月1日であるのは、これから来ている)
  日本初の活動写真が、神戸神港倶楽部で上映された。
  高橋新治が輸入した「キネトスコープ」(ニーテスコ
 ップ・・電氣作用寫眞活動機械)の映像を滞在中の小松
 宮彰仁親王に見せた。
  因みに、キネトスコープはエジソンが発明した。
  1893年、シカゴ万国博覧会に出展され・・
  1894年4月14日、ニューヨークのブロードウェイ1155番
   地に世界初の映画館(キネトスコープ・パーラー)
   が設置された。
   この箱をのぞき見する型は「ピープショー」と呼ば
   れ世界で大ヒットした。
   スクリーンに投影されて皆が見られる型は、1895年
   にリュミエール兄弟が発明する「シネマトグラフ」
   を待たねばならない。
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1896年11月21日、客車等級別塗装の最初がなされた。
  関西鉄道が、客車の外側を帯で塗り分け塗装をして、
 等級を判別させた。
  上等が白、中等が青、下等が赤・・
  これは、誤乗車を防ぐというためだった。
  1872年の鉄道開業の時にも、客車は3等級とされ、上等・
 中等・下等に区分していた。
  また、下等の名称が乗客の感情を害するため、1897年
 11月、一等・二等・三等へ変えられた。
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  (今日の言葉)
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  題:日本の対馬が、韓国に乗っ取られようとしている。
   有志の議員団が、この日、緊急要望書を出した。
   また、中国が、その韓国にとって代わろうとする意思がうかがえる。
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紀元前5世紀頃、生姜(ショウガ)が、インドや中国で栽培さ
 れ始めた。
  生姜は、ショウガ科の多年草で、食材や生薬として広
 く利用されている。
  原産地は、熱帯アジア。
  日本には、2世紀〜3世紀、中国から伝わった。
  奈良時代になり栽培が始まる。
  薬効は、発汗、健胃、鎮吐作用など。
     ・
     ・
15世紀半ば~17世紀半ば、大航海時代
  中世において、キリスト教は、ヘブライ語聖書なども
 動員して「年代決定を検討し、そして、その齟齬(そご)
 を決定し、直して来た」。
  そして、時代が、大航海時代に入ると、「新しい知見」
 が知られ・・新しい知識が入って来て・・それまでのキ
 リスト教が行なって来た「決定し直して来た年代」まで
 もが、また、齟齬(そご、食い違い、合わないこと)が
 生じた。
  このことにキリスト教は焦(あせ)った。
  加えて、科学的知見も、この時代、新たに人々は知る
 様になると、それとの齟齬も生じていた。
  あらゆる面からキリスト教普遍史の年代決定は崩れて
 行った。
  この様な事は・・当然の事だった。
  何も知らない古代・・空想で作り上げて来た「キリス
 ト教のストーリーだった」・・
  その様なものが、正しい結果を示す事こそ「奇跡だっ
 た」。
  当然、その様にはならなかった・・事実を示された大
 航海時代だった。
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1609年、ケプラーが「惑星の法則」を発見し、また、ガリ
 レオが、この年、天体望遠鏡を発明した。
  この近代科学の知見は、それまでのキリスト教によっ
 て築かれて来た迷信的社会へ衝撃を与えた。
  有名なガリレオの宗教裁判が開かれた。
  キリスト教は焦(あせ)った。
  しかし、人々は、これを契機に次々と科学的知見を得
 て行く・・その様な智識を知った人々となった。
  キリスト教の矛盾に目覚めて行った。
  大航海時代の知見とともに「地球規模の理解を得よう
 とする思考」・・そして、キリスト教の迷信から脱却し
 て行った。
  17世紀は「科学革命」に開かれた時代だった。
  同時に、市民たちは、「自分たちの思想」を主張し始
 めた。
  キリスト教聖職者が演じた「虚飾の世界」の終焉が始
 まった。
  理性が民衆の手に戻って行った。
  人間の能力が主導権を握り出す17世紀は、「科学革命
 の世紀」だった。
  人間や社会を「理性に照らして吟味する人々」になっ
 た。
  「(キリスト教の)神の似姿の人間」の話は、作った
 話だと「皆が、誰もが思う時代」へなって行った。
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1618年、北海道の金山で働く人を訪問するキリスト教聖職
 者・・
  キリスト教イエズス会士のアンジェリスは、1618年と
 1621年の二度、北海道の松前の金山に働くキリスト教
 を訪問した。
  また、カルバーリョも、1620年、やはり、松前の金山
 のキリスト教信徒を訪問している。
.
1743年、コンドルセが生まれた。
  コンドルセ(1743年〜1794年)は、フランス革命期の
 代表的な啓蒙思想家・・そして、革命家であるが・・
  彼は、はっきり言った「自然が我々を生んだ・・そし
 て、その地球」と・・
  キリスト教の神による「創造の神秘」を否定した。
  また、「キリスト教の神によるアダムの創造」も彼は
 否定した。
  根本的出発点に「人間には独自の『人間能力』がある」
 とした。
  人間の精神活動を行なう能力、理性を持つ独自性を言
 い、キリスト教の神の呪縛から解き放った。
  理性の存在する人間を謳った。
  自然体系の中の存在、その一員としての人間という、
 至極、当然な考え方に至った。
  しかし、今・現在でも、その呪縛に捉われ続けている
 人たちが居る。
     ・
     ・
1939年3月28日、スペイン内乱が終結する。
  この終結した1939年以来、33年間も、同じ独りのファ
 シストに支配されてしまった国=スペイン。
   労働者革命の挫折した国、インターナショナリズム
 の墓場となった国、国際義勇兵が絶望した国、そして、
 勝利した独裁者が、なお生きて、コインに刻印され、暴
 力装置を握っていた国だった・・
  「スペインは、眼の国だ」と言う・・
  「猜疑的な眼」がどこにもみられた。
  バレンシアの郵便局の玄関には、二人ずつ、兵隊の様
 な緑色の服を着た男が、横柄に立っていた・・監視兵だ
 った・・
  注意してみると銀行のドアの影、駅、広場、市庁舎、
 ホテル、大学、バザール市場、そういう人の集まりそう
 な場所に、監視専門の「眼」の居ることが分かった。
  外国人旅行者へも眼が光り、どんな辺鄙(へんぴ)な
 海辺のキャンプ場に行っても、ものの10分としない内に、
 どこからともなく「眼」が現れた。
  ライフルを肩から下げている眼もあった。
  カルタヘナの海では、軽機関銃を持つ陰気な男の「眼」
 に晒(さら)され、近づいて来て、人品を胡散(うさん)
 臭そうに確かめられた。
  ちなみに、1939年1月、バルセロナは陥落した。
  1939年3月27日、フランコ軍は、マドリードに入城し、
 スペイン共和国は崩壊した。
  150万人もの方々の難民も出た。
  ぼろをまとい、子供の手を引いた方々が、長い行列を
 作って、凍った道を逃れて行った。
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2017年6月、タカタ株式会社が潰れた。
  タカタ株式会社は、エアバッグ・シートベルト・チャ
 イルドシートなど、自動車用安全部品を製造していた日
 本の企業である・・
  2017年6月に、負債総額1兆円を超えて製造業としては
 戦後最大の経営破綻をした。
  タカタ株式会社は、シートベルト・チャイルドシート
 エアバッグなどを製造していた企業であり、自動車メー
 カーからの出資を受けていない完全独立の部品メーカー
 だった。
  創業の地である彦根市と、その周辺の長浜市愛荘町
 に、日本国内の製造拠点があった。
  エアバッグでは、世界市場でシェア 20%を占めていた
 (2011年3月期)
  1933年、高田武三が、彦根で高田工場として創業した。
  織物製造を開始し、織物の技術を活かした救命索も製
 造した。
  2006年11月、東京証券取引所に上場した。
  2017年6月26日、同社の主力商品のエアバッグの欠陥
   リコールにより、最終的な負債が1兆円を超える見通
   しとなり、東京地方裁判所民事再生法の適用を申
   請した。
  国内の製造業では、戦後最大の経営破綻だった。
  なお、タカタ本体には、欠陥リコールの原因となった
 硝酸アンモニウムを使ったインフレーターの製造・販売
 事業を残し、他の事業を米国のキー・セイフティー・シ
 ステムズ(中国の寧波均勝電子の100%子会社)に譲渡せ
 ざるを得なくなり、譲渡した。
  2017年7月27日、上場廃止となった。
  経緯・・
  エアバッグの草創期より製造を進めてきた経緯から、
 トヨタ自動車本田技研工業日産自動車をはじめとす
 る日本の自動車各社のほか、フォルクスワーゲン、BM
 W、メルセデス・ベンツフォード・モーター、GM、
 フェラーリ、テスラ、マクラーレンなど各国の自動車メ
 ーカーにも納品し、世界シェアは2位に上った。
  1セット数千円の単価ながら、2014年3月期決算では、
 社の売上高の約4割がエアバッグによるものとなった。
  2004年、Honda Accordでエアバッグが爆発し、金属
 片で運転手を傷つけると、タカタはそれを異常と呼んだ。
  2008年頃より重要部品である、膨張ガスを発生させる
 インフレーター関連の不具合が相次いで判明、米国とマ
 レーシアでは破裂したインフレーターの金属片により死
 亡事故も起きた。
  2008年11月より断続的にリコールが行われている。
  2014年11月時点で対象車の累計は1,700万台に達した。
  2015年11月、アメリカ合衆国運輸省の国家道路交通安
   全局(NHTSA)は、タカタのエアバッグの欠陥を企業の
   不祥事と位置づけ、同社が適切なリコールや情報開
   示を行わなかったため、アメリカ国内で被害を拡大
   したとして最大2億ドル(約240億円)の民事制裁金
   を科すと発表した。
  NHTSAが一社に科す制裁金としては過去最高額だった。
  タカタと自動車メーカーに対して、2019年末までに、
 エアバッグの修理を完了するように命じた。
  制裁金に加えてリコール費用、訴訟費用が巨額に膨ら
 む可能性があり、会社存続の危機と指摘された。
  日本経済新聞によると、2016年4月時点でエアバッグ
 のリコール対象となる搭載車は世界で1億台以上、費用は、
 総額1兆円に上るものとみられる。
  街の声・・
  自動車が衝突するとき、その衝突が激しい時、運転し
 ていた人は、その衝突の対象物がその運転者に達しない
 時でも、運転者を衝突対象物が運転者に直接ぶつからな
 くても、運転者は死ぬ時がある。
  それは、運転者が慣性の法則によって前方へ投げ出さ
 れるからである。
  前方へ投げ出された運転者は、衝突対象物に達しない
 で、衝突対象物との衝突が避けられたとしても、運転者
 はそれで死ぬ。
  それは、運転者の非常に近い位置に「ハンドルがある」
 かあらでもある。
  当然、運転者は、運転の必要性からハンドルは運転者
 の非常に近い位置に置かれている。
  だから故に、このハンドルに衝突して死んでいる。
  まったく多くの人々が、これで亡くなった・・
  この状態から大勢の運転者の方々の命を救えないかと
 考え・・考えだされたのが「運転者がハンドルに衝突す
 る直前に、その運転者の命を救う衝突衝撃吸収材を存在
 させる」という考え方だった。
  この衝撃吸収材を作り出すことが「多くの亡くなる方々
 を救うヒントだった」。
  その解決策は、衝突衝撃で亡くなろうとしている運転
 者の前に、その衝突直前に、バルーンの柔らかい衝突衝
 撃吸収材を膨らませようという考え方だった。
  苦労の研究開発が始まった。
  「多くの方々の命を救え」と研究者たちは、一生懸命
 に研究し、努力した・・色々な試作品が出来た。
  それでも、より多くの命を救うという大きな使命の下
 に、色々な技術や知恵が取り入れられ、改良も加えられ
 た。
  多くの人々を救うため、早く世の中に出したいという
 研究者や関係者の使命感もあった。
  実際のテストも繰り返され、何度も繰り返され、製品
 の品質向上もさせ、多くの方々を救うものが、やっと世
 に出せることが出来た・・やはり多くの人々を救くった。
  偉大な功績だった。
  この製品で、器機で、自動車衝突という不幸中の中に
 も、自動車運転者の命を、多くの自動車運転者の命を救
 った・・その様な製品だった。
  正に研究開発者の優しさが、製品に、商品になったよ
 うだった。
  しかし、あらゆるものに完全は無い・・あらゆるもの
 に100パーセントは無い。
  そのわずかな部分で、その商品目的が達せられなくて、
 多くの方々を、本当に多くの方々を救っているにもかか
 わらず、そのわずかな部分において、製品目的が達せら
 れなくて、亡くなる方が出てしまった。
  人の命という事で、大切な人の命という事で大問題と
 なった。
  そして、その多くの人々を救って来たその会社は潰(
 つぶ)れてしまった。
  巨大な賠償金を課して、会社を潰したたアメリカは正
 義だったのか?
  問題は確かにあった・・確かにそれは大きな問題では
 あるが、この会社が救ったそれ以上の多くの命に目が行
 っていない。
  また、この後、これから救われるだろう方々の存在に
 も目が行っていない。
  また、この会社が、中国の会社になってしまったとい
 うことが気になる・・
.
2019年9月5日、中国は、チベット族やウィグル族などの
 土地を「同化政策」の名の下に、奪う行為の圧力を強め
 た。
  この日の読売新聞によると・・抜粋・・
  習近平政権は、「中華民族」だという名目を掲げてい
 る。
  その名の下に「同化圧力」を強める政策をとっている。
  国有企業の進出には「反対が許されない」。
  中国北部・内モンゴル自治区、中部バインノール市の
 草原の中で、羊飼いのムチの音が聞こえた。
  50頭余りの群れを追うモンゴル族の郭貴月さん(70歳)
 の姿を見つけた。
  郭さんの放牧地の北には国有企業の金精錬工場の敷地
 が広がる。
  工場建設に伴う土地の接収で、多くのモンゴル族が去
 ることになり、辺りで放牧を続けるのは郭さんだけにな
 った。
  草原には、寂れた家畜小屋や民家がただずみ、半野生
 化した馬が草をはむ。
  「国有企業に、我々の場所に作らないでほしいと言え
 なかった」。
  郭さんの顔のしわがひときわ深くなった。
  自治区は、金やレアアース(希土類)、石炭など鉱物
 資源が豊富だ。
  中国の経済発展に伴い2000年以降、自治区外からの国
 有企業の進出が本格化した。
  生態環境省によると、鉱山開発による草原損失面積は、
 2015年までに、香川県に匹敵する1835平方キロメートル
 に上る。
  郭さんの放牧地近くの工場を巡っては2014年、漏れ出
 した毒物が原因とみられる羊の大量死が起こった。
  昨年1月以降、一部のモンゴル族が環境汚染の改善と不
 当な土地収用への補償を求め政府に陳情をしようとした
 が、米政府系のラジオ自由アジア(RFA)によると、
 当局に拘束された。
  モンゴルの人々は、13世紀に広大な帝国を築いた。
  中国の清朝崩壊後、最終的に旧ソ連の影響が強かった
 地域が「モンゴル人民共和国」として独立した。
  南隣の地域も一緒に独立を模索したが、結局、内モン
 ゴル自治区として中国に残った。
  自治区に民族の名を関しているものの、モンゴル族
 清朝の頃から人口で漢族に圧倒されてきた(漢族の流入
  (日本の北海道にも漢族が流入するだろう)
  現在、漢族は約8割、モンゴル族は2割弱という割合だ。
  両者の摩擦は絶えない。
  今年4月にも、バインノール市で、100人超のモンゴル
 族が生活改善を求めて地方政府庁舎に詰めかけた。
  公安当局ともみ合いになって怪我人も出た。
  「抗議が収まらないのは、生きるために最低限必要な
 草原を奪われ、文化をないがしろにされて居るからだ」。
  自治区出身で米ニューヨークを拠点に自治区の状況を
 発信するとトゴチョグ・エンフバトさん(46歳)はモン
 ゴル族の思いを語る。
  包頭市政府は、昨年6月、草原の中にモンゴル伝統の移
 動式住居「パオ」を建て始めた。
  今や30か所に上る。
  その一つに4月、地元の共産党幹部が100キロメートル
 四方の草原に暮らすモンゴル族10人を招いた。
  特別に習近平総書記(国家主席)のパネルを飾ったパ
 オの中で、幹部は「党は経済発展と民族団結を促し、辺
 境地域の安定を図る。党の指導を聞き、協力してほしい」
 と呼び掛けた(中国化政策)
  パオは、当局が中国共産党の指導を広めるための拠点
 だ。
  だから、外面は乳白色でも「紅色蒙古包(赤いモンゴ
 ルのパオ)」と名付けられている。
  草原に指導の網を張り巡らす背景には、「モンゴル族
 は容易の扇動され、政府に対抗しかねない」(漢族の地 
 方政府幹部)との不信感が垣間見える。
  緊張は続く。
  (関連事項)
  モンゴル人民共和国と共に独立の行動をすればよかっ
 た。
  その後の、漢民族流入と共に漢民族が多数となって
 しまった。
  他の自治区と同様、この地も、モンゴル族は、強制的
 に他へ移住させられたりもしたのだろう・・
  他と同様・・その様なことで漢民族が圧倒的多数とな
 ったのだろう・・この様な方法で国が奪われていく・・
  (参考)モンゴル族は、13世紀に巨大な版図を誇った
     モンゴル帝国の末裔だ。
      チベット仏教を信仰する人が多く、主に牧畜
     業に従事する。
      かつては家畜の群れとともに移動生活を送っ
     ていたが、現在は定住生活を営む。
      固有の言語を有し、民族楽器である「馬頭琴
     は日本でも親しまれている。
      中国国内に約598万人おり、内モンゴル自治区
     内には約420万人が暮らす。
      ただ、自治区の総人口(約2470万人)の約17
     %に過ぎず、漢族が約79%を占める。
  (参考)モンゴル族の主な抵抗の歴史・・
     1995年12月、フフホト、モンゴル族の活動家の
      8人が拘束された。
      反発した学生らが2度のデモをした。
     2011年5月、シリンホト、炭鉱開発に抗議する
      モンゴル族が漢族にひき殺される。
      自治区各地で抗議のデモが起きた。
     2013年5月、赤峰、放牧地の不法占拠に抗議した
      放牧民6人が拘束された。
     2018年7月、興安盟、江蘇省の企業と開発に抗議
      する遊牧民が衝突した。
      怪我人が多数出た。
     2019年4月、バインノール、100人超のモンゴル
      族が生活改善を求め地方政府庁舎に詰めかけ、
      公安当局ともみ合いになる。
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2019年9月15日、脱中国が世界の流れになって来ている。
  東南アジアが、その「脱中国」の受け皿になる積極的
 姿勢の状態にある。
  その様子を伝えたのが、この日の読売新聞・・抜粋
  東南アジア諸国が、中国からの生産移転の受け皿を目
 指す動きを強めている。
  米中が制裁・報復関税の報酬で対立を深めていること
 を受け、中国から生産拠点を移す事を計画する企業が増
 えているためだ。
  各国は、税制優遇策などをアピールし、投資を呼び込
 もうとしている。
  タイのソムキット副首相は10日の閣議後、記者団に対
 して強調した。
  「米中摩擦をチャンスとして、海外企業の誘致を拡大
 する」と・・
  タイ政府は、この日、中国から工場などを移転する企
 業への優遇措置をまとめた政策「タイランドプラス」を
 決めた。
  最大50パーセントの法人税減税などが柱だ。
  プラユット首相が、トップを務める投資運営委員会を
 儲け、規制緩和にも取り組む。
  投資運営委員会には、タイに移転する企業を手続き面
 で支援する特別チームを置く。
  スリヤ工業相は今月中に日本を訪れ、日本企業にも優
 遇策をアピールする計画だ。
  フィリピンでは、ロペス貿易産業相が11日、「今が中
 国から製造業を呼び込む良い機会だ」とする声明を発表
 した。
  国家経済開発庁と連携し、外資の参入規制緩和などに
 取り組むことを明らかにした。
  人件費の安いカンボジアは、縫製品などで、中国に代
 わる生産拠点として存在感を増している。
  米国向け輸出の増加もつながっており、1月~6月の対
 米輸出額は22億ドル超と前年同期から3割近く伸びた。
  後発開発途上国として、米国や日本に輸出する際、関
 税が低くて済むという強みもある。
  米ファッション産業協会の調査では、約半数の加盟企
 業が今後2年以内にカンボジアでの調達拡大を検討してい
 る。
  カンボジア縫製業協会のカイン副事務局長は、「生産
 移転の流れは鮮明だ。
  設備投資と人材育成を進め、需要を取り込みたい」と
 話す。
  ミャンマーでは、日本が支援する経済特区への在中企
 業の視察が増えている。
  アウン・サン・スー・チー国家顧問は8月、日米共催の
 投資フォーラムで、「規制の緩和をさらに進め、経済発
 展のパートナーとなる企業を呼び込みたい」と意気込ん
 だ。
  実際に、中国から東南アジアへの生産移転に向けた動
 きは広がりつつある。
  タイ地元紙によると、すでに台湾の電源大手、デルタ
 や音響機器のメリーエレクトロニクス、日本のリコーや
 シャープなど10社ほどがタイへの工場移転を計画。
  米タイヤメーカー大手など30社以上が東南アジアへの
 移転を検討している。
  各国は、こうした移転の動きを一段と加速させ、陰り
 の見える経済の成長につなげたい考えだ。
  東南アジア諸国連合ASEAN)主要6カ国の今年4
 月~6月期の国内総生産(GDP)は、米中対立を受けた
 中国景気減速の影響で、内需が堅調だったマレーシアを
 除き、いずれも減速した。
  各国は、生産拠点の増加で先進国向け輸出が増えれば、
 低迷する対中輸出を補えると見込んでいる。
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2019年9月18日、日本の対馬が、韓国に乗っ取られようとし
 ている。
  有志の議員団が、この日、緊急要望書を出した。
  以下・・その抜粋・・
  『対馬振興強化に関する緊急要望』
                            日本の尊厳と国益を護る会
  去る16日、私たちは、長崎県対馬の現状を視察しま
 した。
  対馬は、わが国にとって古来より大陸や朝鮮半島との
 交易の窓口として、また、わが国防衛の要として大きな
 役割を担ってきました。
  しかし、止まらぬ過疎化や高齢化の中で、対馬に韓国
 の資本と人が入り込み、漁場が荒らされたり、自衛隊
 地の周辺など安全保障上重要な土地も韓国資本に買収さ
 れているなど、わが国にとって極めて重要な要衝の地の
 将来が危ぶまれる状況になっています。
  また、中国も、韓国にとって代わろうとする意思がう
 かがえます。
  そして、昨今の揺らぐ朝鮮半島情勢を鑑みると、今後、
 対馬のわが国の安全保障上の重要性はかつてなく高まる
 ものと予想されます。
  そこで護る会は、対馬をわが国にとって戦略上の重要
 拠点と位置づけた上、下記の対策を早急に講じ、対馬
 興に力強い新たな一歩を踏み出すよう、速やかな実施を
 要望します。
                 記
 1.「対馬振興法(仮称)」を制定し、国境の要衝としての
  対馬の位置づけを明確にするとともに国土の保全を図
  り、島民の目線に立った総合的な対馬振興計画を策定
  し、これらを両輪で実施すること。
 2.国民が対馬の歴史と文化に一層容易に触れられるよう、
  現在、有人国境離島法の対象とはなっていない対馬
  の旅行者の航空運賃等の引き下げを、大胆に躊躇なく
  実施すること。
 3.対馬への修学旅行等を増やすための助成を行うこと。
 4.海上自衛隊防備隊周辺の土地を国有化するとともに、
  朝鮮半島有事を想定し港湾の整備を行うこと。
 5.国境防衛の要となってきた対馬の歴史も含め、福岡に
  元寇に関する公的な歴史館を設置すること。
  (参考)
  中国と韓国は、最近、大変緊密になって来ている。
  この対馬の工作は、韓国にさせて、煮詰まって来たら
 中国が乗り出すという手を取っていると見られる。
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2019年、対馬海峡を見て思う事
  (参考:長尾たかし議員のホームページ)
  日露戦争で日本帝国海軍がバルチック艦隊と戦った日
 本海海戦の主戦場、対馬海峡を見て思った事。
  朝鮮半島有事が起きた際、或いは南北統一が現実のも
 のになった時、この海(対馬海峡)が「38度線」となっ
 て、朝鮮半島と日本との軍事境界線になるのだろうと。
  そして、台湾、尖閣諸島有事と連動するのだろうと。
  その過程において軍事的な対応は米国が何とかしてく
 れると思うことは、完全に誤りであり、米国の事情、北
 朝鮮、中国、ロシアの本音を理解していない浅はかな考
 えです。
  確かに朝鮮半島有事が起きれば主として対応するのは
 米国です。
  しかし、米軍の軍事的キャパはこれで一杯です。
  その時は、台湾を含む尖閣諸島など他の地域の防衛が
 手薄になることを覚悟しなければなりません。
  日本も北朝鮮からのミサイル攻撃に対応するため、イ
 ージス艦などは日本海に展開せざるを得ず、海上保安庁
 も在韓邦人の救出の対応を迫られることになれば、尖閣
 諸島や沖縄、南西諸島、台湾はガラ空き、防御は不可能
 となります。
  そして、我が国にとって生命線である台湾、台湾海峡
 が、中国に抑えられる。
  朝鮮半島有事が起きてほくそ笑むのは中国なのです。
  我が国の防衛体制も予算も、深刻なまでに足りないの
 です。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/